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小泉進次郎農相がファミリーマート「ムスブ田町店」で政府備蓄米の販売開始を視察し、細見研介社長が「銘柄米も値引き販売する」と表明した。この光景は確かに「新しい流通」を印象付ける。しかし、この施策は本当に「コメ問題の転換点」(細見社長談)たり得るのか?あるいは、またしても繰り返される「対症療法」に過ぎないのか?3000字を超える考察で、その本質的な疑問と構造的問題を抉り出す。
表層の「革新」とその欺瞞性
- 「コンビニ流通」の象徴性と限界: 確かに政府備蓄米がコンビニ(ファミマ、ローソン)に並ぶのは「画期的」に見える。従来のJAルートや直売所とは異なる消費者への接触点を開拓した点は評価できよう。小泉農相が「全国への面的な展開につながる」と期待するのも理解できる。しかし、販売規模はファミマで契約1000トン(精米換算)。日本の年間米消費量約800万トン(令和3年産水稲うるち米)に比べれば微々たる量だ。物理的な流通網を広げた「ポーズ」以上のインパクトは極めて限定的と言わざるを得ない。
- 価格設定の矛盾: 1kg388円(税込)は、一般のスーパーで販売される中級銘柄米と比べれば「安い」印象を与える。細見社長が「銘柄米も値引き」するとした背景には、この備蓄米単独では価格競争力で微妙な位置にある可能性すら示唆する。しかし、ここに根本的な矛盾が潜む。政府備蓄米は本来「非常時に備えた国民の生命線」であるべきものだ。 それが平時において、安売りのツールとして流通市場に投入されることの是非は深く問われないままだ。これは備蓄制度の目的そのものの空洞化ではないか?
- 「マーケットのマインドを変える」という空虚なスローガン: 小泉農相が「マーケットのマインドを変えることは簡単ではない」と述べたのは現実認識としては正しい。しかし、続く「あらゆる選択肢を1つのカードとして持ち…」という発言は極めて抽象的だ。「カード」とは何か?その「選択肢」を具体的にどう組み合わせ、どのような戦略で「マインド」を変革しようとしているのか? この発言には、問題の本質を捉えた具体的なビジョンや戦略が欠如しているようにしか映らない。小手先の施策を「カード」と呼ぶことの危うさを感じざるを得ない。
「コメ離れ」対策としての本質的な疑問
農相はコンビニ販売が「生産者にとっても国産米離れを防ぐ一手になる」と指摘する。細見社長も「コメ問題の転換点にしたい」と語る。しかし、このロジックには重大な飛躍がある。
- 需要喚起のメカニズムの欠如: コンビニに政府備蓄米(や値引き銘柄米)が並んだところで、それが直接「米を食べる人を増やす」ことにつながる保証は全くない。コンビニは「便利さ」が最大の武器であり、主食としての米を買う主要な場所ではない。むしろ、おにぎりや弁当といった「加工済み米製品」の需要は高いが、「自宅で炊く米」の購入需要をコンビニが劇的に喚起する証拠はない。 単に既存の米購入者の「購入場所の選択肢」が一つ増えただけの可能性が高い。
- 「離れ」の真因への無視: 「米離れ」の根本原因は何か?
- 食生活の多様化: パン、麺類など選択肢の増加。
- ライフスタイルの変化: 調理時間、片付けの手間を避ける傾向。単身世帯の増加。
- 健康・美容志向: 糖質制限ブームの影響。
- 米そのものの「当たり前化」と価値の見えにくさ: 高品質な米が当たり前になり、その価値や生産の背景が消費者に十分に伝わっていない。
- 価格以外の魅力の不足: 単なる「主食」から「楽しむ」「選ぶ」商品への進化が十分でない。
コンビニで安い米を売ることは、これらの複雑で根深い要因のいずれにも本質的にアプローチできていない。 せいぜい「価格」という一要素にしか触れていない。

政府備蓄米制度の根源的なジレンマ
今回のコンビニ販売は、政府備蓄米制度が抱える本質的な矛盾を浮き彫りにする。
- 目的の二重性(非常時備蓄 vs 過剰在庫処理): 制度の建前は「凶作や輸入途絶時の国民への供給確保」だ。しかし現実は、減反政策の緩和・廃止や生産調整の難しさにより、備蓄米は「平時の過剰在庫処理」の場として機能せざるを得なくなっている。 今回のコンビニ販売は、この「在庫処理」の側面が色濃く出ている。非常時用の貴重な備蓄を平時の市場価格調整や過剰在庫のはけ口として使うことのリスク(いざという時の備蓄量確保の問題)は軽視されていないか?
- 生産者への矛盾したメッセージ: 政府は「強い農業」「輸出拡大」「高付加価値化」を掲げる。一方で、政府自らが管理する備蓄米を安価で市場に放出することは、民間の農家やJAが目指す「高品質米による収益向上」の努力と真っ向から矛盾する。 「銘柄米も値引き」が常態化すれば、市場全体の価格水準を引き下げる圧力となり、結局は生産者の収益を圧迫する逆効果すら招きかねない。小泉農相は「生産者にとって一手」と言うが、その実、生産者の長期的な収益安定化に寄与するのかは極めて疑問だ。
- 「備蓄」の質とコストの問題: 備蓄米は数年保管される。今回販売されるのは2021年産。当然、鮮度や食味は新米に劣る。それを通常の銘柄米と同等かそれ以下の価格で売ることは、「国産米」全体の品質イメージを毀損するリスクはないか?また、長期保管に伴う莫大なコスト(保管費、更新時の廃棄ロスなど)は税金で賄われている。そのコストを加味した上での「388円」の経済的合理性は全く説明されていない。
細見社長発言に潜む本音と業界の思惑
細見社長の「新米が出るまで備蓄米だけでは数という面で問題がある」という発言は非常に興味深い。
- 供給量の不安定性: 政府備蓄米の供給量、供給時期は政治・行政判断に左右される。コンビニが年間を通じて安定した品揃えを追求するビジネスモデルにとって、備蓄米だけに頼るのはリスクが高いという本音が透けて見える。値引き銘柄米の投入は、安定供給確保のための現実的な選択と言える。
- CSR(企業の社会的責任)としての「コメ問題」: 「コメ問題の転換点にしたい」という言葉には、コンビニ業界として社会的課題に取り組む姿勢を示したいという意図も感じられる。特に米は日本の農業・食文化の象徴であり、国産米離れは国家的課題と捉えられている。販売そのものの直接的利益以上に、企業イメージ向上や行政との関係強化を狙った「社会貢献型ビジネス」の側面が強い可能性がある。 つまり、ビジネスとしての持続可能性よりも、政治的・社会的な意義を優先した施策と言えなくもない。
本当に必要な「転換点」とは何か?:構造改革への提言
コンビニに並んだ備蓄米は「新しいこと」をした気にさせるが、それは米政策の深い病根から目を背ける「アリバイ工作」に過ぎない。真の「転換点」に必要なのは以下のような根本的な構造改革である。
- 政府備蓄制度の抜本的見直し:
- 非常時備蓄の本来の目的を徹底し、平時の在庫調整機能から切り離す。備蓄量・更新ルールの厳格化。
- 過剰在庫が発生しないような生産調整(または廃止後の新たな需給調整メカニズム)の確立が最優先課題。備蓄に頼らない体質へ。
- 「米政策」から「食料・農業政策」への転換:
- 単品(米)の供給調整に終始するのを止め、日本の農業全体の持続可能性、国土保全、多様な農産物の供給体制、食料自給率向上を視野に入れた総合政策へ。
- 米農家の経営安定策を、減反補助金や備蓄依存から、真の意味での経営体強化(規模拡大、高収益作物への転換、6次産業化、輸出対応など)への支援にシフト。
- 需要創造への本気の投資:
- 国内需要:単なる「安売り」ではなく、米の新たな価値(健康機能性、エシカル生産、地域ブランド、調理の簡便化技術、新規用途開発など)を創造し、消費者に訴求する抜本的なマーケティング戦略と研究開発への投資。食育の強化。
- 海外需要:輸出促進の本格化。コスト削減、品種開発(海外の嗜好・気候対応)、ブランディング、輸出インフラ整備を官民で推進。備蓄米放出のエネルギーをここに注ぐべきではないか。
- 流通改革の深化:
- コンビニ販売は一つの「きっかけ」に過ぎない。重要なのは、生産者から消費者までのサプライチェーン全体の効率化と透明性の向上、付加価値の適切な分配。 デジタル技術を活用した直接取引プラットフォーム、トレーサビリティの徹底、小ロット多品種対応など、真に時代に合った流通構造を構築すること。
結論:ポーズで終わらせるな、本質的な挑戦へ
小泉農相のコンビニ視察とファミマ・ローソンによる政府備蓄米販売は、確かに従来にない「形」を作った。しかし、それは米政策が抱える構造的な矛盾(過剰生産と備蓄のジレンマ、生産者保護と市場原理の狭間、需要減退への無策) を解決する「中身」を持たない。むしろ、安易な在庫処理と「何かやっている感」による問題の先送り、そして生産者と消費者双方にとっての長期的な不利益を助長する危険性すらはらんでいる。
細見社長が語った「転換点」が、単なる販路拡大の一事例で終わるのか、それとも日本の農業と食の未来を真剣に考え抜く契機となるのか。その分かれ目は、この「形」の先にある、痛みを伴うが不可欠な構造改革に、政府、生産者、流通、消費者が覚悟を持って挑戦できるかどうかにかかっている。 コンビニの棚に並んだ一袋の米は、その重い問いを我々に突き付けているのだ。この瞬間を、安易な成功譚に酔うことなく、日本の農業が抱える深い病根と真正面から向き合う真の「転換」の始まりとできるか。その見極めが今、問われている。
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